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本城小学校創立100周年記念誌(平成3年刊・126~129P)
桑原 茂氏(昭和25年卒)制作の鳥瞰図「本城古図」を引用させていただきました。

鷹ノ巣池のおいたわしい姿を嘆き悲しんでいたどころではない、このあたりは海だったとのことです。

「陣の原と本城は則松・永犬丸へ広がる洞の海の入江で隔たり、その間を渡舟で往来したようです。力丸と赤坂も本城七浦の海で隔たり舟で往来していました。筑豊線の力丸立橋附近で『古渡し』と呼ばれていました。
(略)
遠浅のため浅瀬・潟・湿地帯も多かったのでしょう鴨・鵜・鷹と水鳥・山鳥の住む地名が残っています。
1673年ごろより本城小学校が開校した明治中ごろまで本城は黒田藩や明治政府・村民などにより大がかりの干拓がすすめられ、古開、大開、御開、群開などが拓かれ、海が陸へと変身し、緑豊かな田畑となったのです。」
(同桑原 茂氏)
なるほどそうだったんですね。
郷土史家の桑原さん、ご教示いただきありがとうございました。

2015.2
S・まみこちゃん提供「本城小100年誌」より

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